ばあちゃん

今日は90回ってるばあちゃんと会ったので「死ぬの怖い?」とデリカシーのない質問をしてしまった。

 

「怖い事なんかあるかさ 笑 もう生き過ぎたくらいや十分」

 

お年寄りは人の死を見てきた。

色んな人の死を見てきたと思う。

ばあちゃんの場合には8人兄弟が居てばあちゃん以外全員死んでるし、旦那である爺ちゃんも死んだ。

友達もみんな死んだらしい。

 

「ワシは、胃腸が強いから長生きできた」

 

そう言ってばあちゃんは笑った。

 

部屋がきれいな人汚い人

とある喫茶店に今いる。

メニューを見ると色々飲み物が載ってて

少し迷った後、(正確に言うと迷ったフリだと思う)「アイスコーヒー下さい」と言った。多分アイスコーヒーが飲みたかったからだろう。

それはつまり「アイスコーヒー」と「それ以外の飲み物」に分け、自分にとって現時点で優先度の高い方を選んだ訳だ。

もっと言うとそもそも、まず”喫茶店”とそれ以外の店を分け優先度の高い喫茶店を選んだ。

つまり、それは線だ。

 

で、暇なので2chお笑い小噺板の過去スレッドを読んでたら

どん君が興味深い事を言ってた。

 

誰かがどん君に質問してて「採点基準はあるの?」と聞いた。

 

これに対してどん君は

 

「ない。そういう物差しを持たないと考える事が出来ない人だけがあるんじゃないのかな、でもそれがある人はそれはそれで自分の事がわかってるって事だから素晴らしいと思うよ。

 

線を引っ張る事によって人はその線内で完璧を目指そうとするのかもしれない。

 

ちなみに天才は部屋が汚い人が多いらしい。

ゴミ屋敷の主人は天才かもしれない。

 

 

 

 

 

モノポリー

モノポリーを数十年くらいやってないけど面白いのは良く知ってる。

小学生の頃、近所で一番賢い友人宅に行った時に初めてやった。

友人はプレイヤーと銀行も”兼ねる”と言った。なぜだかわからないけどその時、賢いと思った。なぜなら”兼ねる”という言葉を僕は知らなかったのだから。

 

思えばモノポリーでぼくはお金の勉強を初めてした気がする。

物件を買う。相手が自分の物件に止まるとお金を貰える。反対に自分が相手の物件に止まるとお金を払わないといけない。

賢い友人は銀行と”兼ねて”いたのでプレイヤー側の友人にお金は払うけど彼は銀行も兼ねてたので一応僕らの手前上、「あちゃ〜」みたいなショック顔はあったが余裕があるように思ったのを覚えてる。

あと、モノポリーで覚えたのは取引だ。

僕がよくやってたのは

例えば、相手のボードウォーク辺りの買い占めたエリアが何十パーセントかの高い確率で止まると自分が破産しそうな時に

先に破産しないだけの金額の”通行料”をどのマスに止まったとしても払うのでボードウォークに止まってもボードウォーク金額は免除して欲しいというものだ。

”ボードウォークを抜けさえすればスタートボーナスで立て直す”

その思惑をその賢い友人は一蹴した

帰宅時間も近いし長引かせるのも厄介だと踏み一撃で殺しにきたのだ。

賢い。

 

話は変わるがなぜ学校ではお金の授業をしないのだろう。

むしろ、お金を過剰に崇拝し、労働の対価、汗と涙の結晶という風に教える。

ひたすら大事なんだよ大事なんだよと働かなきゃいけないよと教える。

 

誰かに取ってはそう思い込んで貰った方が都合が良いのかもしれない。

 

ユダヤ人は銀行に預けないと聞く。

お金の価値は変動するからだ。

大暴落がいつ起こるかわからないのでそういう、変動するものじゃなくて

土地や金、ダイヤという価値の変動がなるべく変わらない物に投資したらしい。

 

で、一番に投資したのは

頭脳つまり「金の稼ぎ方」らしい

 

賢い人は賢い。

 

 

コンフォートゾーン

脳機能科学者、苫米地英人さんの本を読むとコンフォートゾーンという言葉が頻繁に出てくる。

コンフォートゾーンとは何か?

脳機能的に「日常生活の上で”自分の精神状態”」を「心地よい状態に保つ」という機能が人間の脳には備わってて、それは生きる為に必要不可欠な機能らしい。

 

それは例えば年収300万の人が居たとしよう。

その人がもし明日からホームレス(無一文)になったとしたら、”不快感”が自分の脳に押し寄せてきて”何とか年収300万の生活、自分にとって居心地の良い世界に戻そうとするだろう。

それをコンフォートゾーンという。

 

では年収1億の人が300万の生活になったとしたら、これも不快感のオンパレードで”なんとか年収1億の生活”に戻そうとするだろう。

 

では、年収300万の人が年収1億を稼ぎたいと思ったらどうするべきだろうか?

 

ここまで読んだ方ならおわかりだろう。

 

まず、現状生活に”不快感”を感じないといけない。

それは上に上に上昇するパワーゆえに当然起こり得る事であろう。

 

で、不快感を感じる為にはどうすれば良いか?

 

それは苫米地英人さんの本を読んで下さいな。

 

だいぶ、胡散臭くなってきたヒラ3でした。

フォークダンスDE成子坂

うん最高。

今、ポッドキャストにて桶田さんが今だからこそ言える事を語ってるのを毎週楽しみにして聴いてる。

http://web-mr.net/良かったら聴いてみて下さい。)

 

で自分は何が好きか?

 

それは多分、コントを非常に大喜利的に作ってる所、それも自分が好きな最高峰のレベルで。

桶田さん自身も「自分は芸人じゃない。芸人なんて言い方はおこがましい。渚に対してギャグを言いたいだけなので渚が笑ってくれたらそれでいい」

と語ってる。

 

その言葉通り、フォークダンスDE成子坂のコントは設定をシンプルにしてギャグ仕様にしてる。

昨今の全体の設定で構成されたコントを見慣れてる、それが面白いと思う(僕自身も千原兄弟のコントとか大好きだ)人はその時点で見限る人も多いと思われる。

 

だが、成子坂はギャグとしての最高峰

この場合は、もう多分ぎりぎりわかる共感点の笑い。突き詰めてる気がする。

 

https://youtu.be/h9TMnt5aEW8

 

例えばこの「催眠療法のコント」の動画の最初の方

 

村田「どういう症状なんですか?」

桶田「あのまあ、簡単に説明しますとおでん種、おでん種といいますか、精神状態が…すごい不安定でそれに加えて更に、ふるさと茶屋、いやふるさと茶屋というか身体。身体も物凄く調子が悪いんですよ。ですから、こういう機会にドラドラピ、ドラドラピというか催眠療法で…」

村田「言い間違いおおすぎ!」

 

こういう僕が好きなのをふんだんに取り入れて魅せてくれる。

いや、それはおこがましい言い方で

これを見たから衝撃を受けて好きになったんだろうな。

 

で、これがまだ多分1998年くらい

 

この快感を味わえただけで生まれてきて良かったと思ってる。

 

カナブン

木に止まっていた。

樹液があまり出ない木に僕は止まってたんだ。

本当はカブトムシになりたかったんだよ。

カブトムシになったら堂々と樹液がよく出る木に止まれると思ったんだ。

だから遠慮する為に生まれてきたんだな多分

 

あいつの”ツノ”が欲しかった。

 

あいつの”力”が欲しかった。

 

あいつの”デカさ”が欲しかった。

 

けれどカブトムシはその格好良さ故、人間に捕られてしまうんだよな。

 

カブトムシからしたら僕が羨ましかったのかもしれない。

 

まあでもどうでもいいや。

 

ブーン