褒められるという事

まず、自分がやった事の評価は自分で決める。間違っても他人の評価で自分を決めないという事。

僕があまりゲームをやらなくなった理由としては”評価を他に委ねる”と言った点からだと思う。

けれど評価を他に委ねないゲームもあって例えばマリオペイントとかシムシティとかだ。

そういうゲームは今でも楽しい。

誰かに褒められるなんてクソ食らえだと思う。

誰かに褒められるという事は誰かに「上から評価される」という事だ。

例えば、僕がもし「専業主婦」で料理を作って旦那に食べてもらったとする。

そんな時に旦那に「よくできたね」とか言われような物なら首締めるだろうな。

そん時に嬉しい言葉は「ありがとう」という感謝の気持ちだろう。

 

感謝の言葉はいつも”対等”なのだ。

怒りの表現方法

人は自分の内部で怒りを感じた時、どのように外部に表現するのだろうか?

それは”人それぞれ”によって違うと思う。そしていくつかのタイプに分類されるような気がする。

 

波動砲タイプ→溜めて溜めて爆発

・マシンガンタイプ→常に小さく怒ってる

・狼タイプ→外に向かって吠える

・解体業者タイプ→壁を思いっきり殴る

・通信士官タイプ→SNSで罵声浴びせる

 

これら全て僕からすると人に”直接的”な怒りの表現方法なので「他者に直接的にダメージを喰らわせてしまう」危険性しかないと思う。

こういう表現方法では多分、人が離れていくのは間違いないし僕も近寄りたくはない。

 

ではどうすれば良いか?

怒りを無くす?それは無理だ。

ある物を無しにする事は出来ない気がする。

 

変換?

 

僕は構成作家塾に行ってた事があって

そこで言われたのは

「怒りは創作に必要な物」

 

創作、つまり音楽、絵画、ブログ、動画、プラモ、粘土、積み木、パズル、コント、大喜利、料理 等々

 

こういう物で怒りを表現すると

”遠回しに怒りが伝わるのでそれはユーモア、つまり面白い”

 

すなわち、怒り→笑いへの変換作業こそが創作の醍醐味なのかなあと思った。

 

後、怒りはエネルギーのような物なので

その貴重なエネルギーを暴力とか罵声に使用するのはもったいない気もする。

 

けれど、いくら笑いに変換させる事が出来たとしても傷つく人は多分居ると思うのでその辺はもう少し考えたいなあと思う。

 

 

 

 

 

聞く見る書く話す作る

「初心忘るべからず」という諺がある。

 

 けれど、その初心を知らなかった場合にはどうなるのかなあ?と思う。

 

例えば、「聞く見る書く話す作る伝える」を僕は多分、親は親なりに遠回しに教えたつもりのかもしれないけれど、僕には今の今まで「わからなかった」

これが、自分の中での全てだ。

 

でも、今、親の元を離れ色んな人との会話、作品を見たり音楽を聴いたり本を読んだりしていく内につれ、なんとなくではあるけれど、今が最高なので

 

結果的には良かったのかなあと。

 

で、今現在、自分の中で起こってるモヤモヤ感はそういう人としての1番基本的な事

「聞く見る書く話す作る」そして「伝える」

そういう事が出来てないからこそ

巻き起こるのかなあと

なので、自分なりに音楽を教えて貰ったり人と会話したり動画を作ったり

今、ブログを書いたり、

 

する事が出来たかどうかはわからないけれど、やってるのかなあという気がする。

鍋焼きうどん恐怖症

始めに言っておくと鍋焼きうどん”自体”は大好きだ。

めちゃくちゃ美味しいし身体も暖まるし消化にも良い、そして安い。

至れり尽くせりだ。

玉子なんか落とした日にゃウハウハである。

 

けれど恐怖症なのだ。銀紙が…

 

銀紙の皿みたいなやつをうどん食べながらも「噛んだらあかん噛んだらあかん」と思いながらも噛んでしまうのだ。

結果「キーン」である。

あと銀紙のせいで、汁を吸っても銀紙の味を何となく思い込みで感じてしまう。

 

これは鍋焼きうどんだけじゃなくて「ガム」とか「鳥もも焼き」なんかでも同じだ。

「噛んだらあかん噛んだらあかん」➡︎「噛む」➡︎「キーン」

 

なので、僕はもも焼きはまず「銀紙」を外して思いっきりゴミ箱の奥にしまっておいてからキッチンペーパーで包んで食べるようにしてる。

 

けれど、それでも何となく銀紙を思い出してゴミ箱を漁って銀紙を噛んでしまう事がある。

 

やはりキーンだ。

 

同じような症状で悩んでる方居たら仲良くして下さい。

海外ドラマ

海外ドラマやばい。特にNETFLIX(動画配信サイト)

何がやばいか?

人をダメにするソファというのをSNSで見かけた事がある。

カフカで身体が包み込まれて気持ち良すぎて「何もしたくなくなる」からそう名付けられたんだと思う。

名付けた人は凄い。一見腐してるように見えて褒めてる。圧巻のツンデレぶりだ

で、簡単に言うとその”ソファー”の海外ドラマ版がNETFLIXなのだ。

「面白すぎる。」

ゆえに何もしたくなくなる。

 

なぜNETFLIXなのか?

 

NETFLIXには既存の名作ドラマ、名作映画に加え「NETFLIXオリジナルドラマ」というのがあるのだ。

これは、NETFLIXでしか見られない上に”真剣”にNETFLIXが既存の作品に負けない、いやむしろ勝とうとしてる意志を感じられるくらいに力を入れてて面白いのである。

その面白いのを結構なハイペースで頻繁に新しいドラマがエンドレスで公開されてるのだ。

制作費も一話につき10億の作品もあるくらいな力の入れようだ。

それが、月700円で見放題。

楽し過ぎて面白すぎて「人をダメにする」のがNETFLIXなのだ。

 

ちなみに僕が好きな作品を挙げておくと

 

・ブレイキングバッド

・ベターコールソウル

・ハウスオブカード

・ナルコス

・ストレンジャーシングス

・ファーゴ

・オザークへようこそ

・ワンハンドレッド

・殺人者への道

・アメリカンホラーストーリー

・OA

・ウォーキングデッド(FOX作品)

・ゲームオブスローンズ(他社作品)

 

気持ち良く駄目になりたい方はオススメ。

 

好きな人

僕が好きな有名人

 

前田智徳(野球選手)

小野伸二(サッカー選手)

・sako(プロゲーマー)

桶田敬太郎(元お笑い芸人)

甲本ヒロト(アーティスト)

岡本太郎(画家)

 

共通点がある事に気付いた。

それはプロなので食べていく為に「競争の世界」に身を置いてるにも関わらずにあくまでも「自分自身の評価」を絶対としてる所だ。

 

例えば前田選手ならヒット打っても自分が気に入らなければ憤慨する。反対に空振り三振でも御満悦の表情だったりしたらしい。あくまでも自分評価だ。

 

小野選手は試合中、もの凄く自由なプレイを魅せてくれる。他者に囚われてないのだろう。心から楽しんでるようなプレイで見てる僕も嬉しくなる。

「楽しむ事が一番」だと教えてくれた。

 

sakoさんは主に格闘ゲームで魅せてくれる。

sakoさんのエピソードで、頭の中で「これ出来たら良いな。あの技がこういう風に決まれば良いな」をワクワクしながら想像するらしい。芸術家みたいだ。

ちなみにsakoさんは「大会は嫌い」とも言っていた。

 

桶田さんはボキャブラ天国という番組でヒロミに「お前ら地味だなw」というフリに対して「今日、革パンなんすよ」というのが今でも脳裏に焼き付いてる。

 

ヒロト忌野清志郎の葬式に革ジャンで現れて弔辞を読んだ。カッコイイ。

 

岡本太郎は最近、名言集を読んだ。どれも最高だが一つ抜粋すると

「本当の人間はみんな透明な眼をもった猛烈なシロウトなのである」

 

共通点はみんな限りなく純粋で正直だ。

僕は嘘つきなので惹かれたのかもしれない。

 

太陽の塔を観に行きたいと思った。

 

 

 

 

 

ばあちゃん

今日は90回ってるばあちゃんと会ったので「死ぬの怖い?」とデリカシーのない質問をしてしまった。

 

「怖い事なんかあるかさ 笑 もう生き過ぎたくらいや十分」

 

お年寄りは人の死を見てきた。

色んな人の死を見てきたと思う。

ばあちゃんの場合には8人兄弟が居てばあちゃん以外全員死んでるし、旦那である爺ちゃんも死んだ。

友達もみんな死んだらしい。

 

「ワシは、胃腸が強いから長生きできた」

 

そう言ってばあちゃんは笑った。