これ、小学校の頃から嫌いで何を書いて良いのかさっぱりわからなかった。
でも、作文の上手い人は居て、彼らの作文は先生が褒めていてみんなの前で発表させられたりしていた。
それを聞くとなるほどーと思い感銘を受けた記憶がある。
年月は経ち、僕にも彼女が出来た。その彼女は遠距離だったので手紙のやり取りをした事がある。
まず最初に彼女から手紙が来た。
僕はその手紙を読んで「なんやこれ!上手いなあ!」と思った。
なんだこの”愛情”が込もった文は!
よし、早速、僕も書いてみようかな。
あれ?全く書けない…
あ、これ小学校の頃と同じだ!
小学校の頃「遠足の思い出」という作文を書く課題があった。
僕は「お菓子食べて美味かった」「面白かった」とか「楽しい」とかで400字作文なのにめちゃくちゃ余白を余らせて提出して怒られた記憶がある。
なので、その彼女にも汚い字でかつたどたどしい文章で「えい!」と送って呆れられたのだ。
でも、今なら「出来る」とまでは言わないが、(出来てるかどうかは他人の評価だと思うので)
「書けるよ」とは言える。
遠足の作文だって、例えば
駅までの長い道程、僕は歩くのに飽きて空を見上げた。
すると空には煙のような雲が散らばっていたのだ。煙なので動くその雲を歩きながら暫く眺めていたら路肩の溝に足を踏み外しそうになった。その状況を見かねた
後ろを歩いてた友達がやれやれみたいな表情で魔法瓶の冷えた麦茶をくれた。
それがすごく美味しかったんだ。
そう、今なら頭の中のモヤモヤを
表現出来る。
このモヤモヤが表現出来なかった時、
自分は凄くイライラしてた気がする。
けれどそのイライラは多分アウトプット出来ないイライラなのかなあと。
例えるとゴミの日なのに”どこに”ゴミ捨てて良いのかわからない状態”
あ、今日はゴミの日だ。