2年後1

 

 

大阪来て2年目、日々を適当にダラダラ過ごすようになっていた。

天王寺にある輸入品のスーパーでバイトして終わったら遊びに行く生活をループさせていた。西成という町は自分にとってやはりめちゃくちゃ相性が良かったようだ。

 

牛丼屋で働いてた頃の先輩Oさんとパチンコにはよく行った。

Oさんは"独自"のパチンコ理論を語る人で「ヒラ3君ね〜この台はあと200回回すとくるよ。」「サメの並びが当たりたがっている」とかオカルト要素たっぷり胡散臭さ1200点発言をし

勝てば焼肉、負けたらカップラーメンみたいな典型的な山口県の島出身のギャンブラーだった。

「ロンブーの"淳君"と同じ島なんよね〜。」とまるで友達かのように言うのが口癖。

「その島はね〜これは内緒だけど盗賊が多いんだ」と嘘か本当かよくわからない事まで言っていた。

給料を全てパチンコに注ぎ込む為、常に貧乏で年季の入ったぼろ靴を履いていた。たまたま大勝ちした時に景品交換で靴を嬉しそうに交換したがよく靴を見定めないで選んだ為、靴の底にローラーが付いていた。

「なんだこの靴、ローラー付いてるよ」

 

Nは焼肉屋でそれを聞いた時、笑い過ぎてミノが喉に詰まって吐いた。

同じビルに住むNとは今でもその話で盛り上がる。

 

またOさんは近くのパチンコ屋の常連にタコおじとかジュゴンおばさんとか海物語に出てくる魚介類であだ名を付けていたのだが、ある日とんでもない事が起こった。

ジュゴンと呼ばれてるおばさんはそのパチンコ屋の有名人で毎日毎日ギンギラパラダイスの同じ台を打っていた。

そして、ほぼ毎日ドル箱を積み上げていたのだ。

 

ある日、行くとそのジュゴン台にOさんが座っている!

O「いやあ、出るよヒラ3君出るよ出るよこの台!ジュゴンの奴独り占めしてたから朝5時から並んで“メス"を入れたんだ」

やばい事になったぞと思った。

この店は常連の結束力が強い地元密着型の店だ。

何事も無ければいいが…と思いつつも俺は違う台を打っていた。

しばらくしてOさんが座ってる"ジュゴン台"を見に行くとOさんが常連達に囲まれている!

やばい!

Oさんはタコおじさんにめちゃくちゃ罵声を浴びていた。側でジュゴンおばさんが泣いている。

Oさんも最初、反抗していたが多勢に無勢。弱々しい声で「俺は盗賊の島出やぞぉ…」というのが精一杯になっていた。

 

まあそんなOさんやN君、Sと西成区民館で大喜利ライブを開く事になるのだが、、、

 

続く