一年生になったら〜一年生になったら〜友達100人できるかな
という歌がある。
自分たちの世代はその歌を聞かされた。
友達できるかな、
願望だ。
ちょっと待てや!!!
友達の作り方わい!ふざけんなよ!
具体的なやり方教えてくれや!
学校に通い出すと何となく誰かが近くに居たりこちらから近寄ったりしていつの間にか休憩時間とか、放課後によく喋る奴らができた。
何を喋ったかは覚えてない。
多分「消しゴム貸して」とか「給食美味かったなあ」とかだろう。後は"ボディラングエジ"的な小競り合いだ、くすぐったり肩パンしたりとかだ。あれもコミュニケーションなのかな、猿だな…
けど一緒に居て居心地は悪くない。むしろ楽しい。
高学年になると女子に目がいくようになる。
胸の膨らみが目につく。何やろ
ムズムズして悶々とするなあ…
そこに目掛けてタックルしてえ!
ゴリラだ。そういった事を押し殺していつもの奴らにそれを悟られないように普段通りの日常を送っていく。
しかし誰かがその内言い出す。
「あいつの胸デカいよなあ」
やられた!と思った。俺がそれを言いたかった。自分の気持ちに正直になりたくて、でも言い出せなくて悶々とした日々を送っていたからだ。
しかし、こいつは言った。正直に、誰よりも早く口火を切った。
なぜだか悔しい!悔しいから自分の心を押し殺して嘘をついてこいつを攻撃した。
「お前さ〜すけべやなぁ」
しかり周りに居た"敗北者達"は勝者に追随する。
「わかるわ〜たまらんよなあ」
一人になった。
カイジのナレーションがここで入るとしたら「悔しい、悔しいから嘘をつく。だがそれが人間だ」みたいな台詞だろう。
月日はどんどん経ち、中学、高校と上がっていく内に賢ぶるようになってしまった。頭で考えて、本能的なエロい奴を見下すようになった。
エロがなんぼのもんじゃい!
こっちには理性がある。本能より理性だろ。それが人間的なんだ。
猿と俺は違う。
そして、俺は本能的な直感を無視してクラスで評価される所の
「賢い人」「面白い人」「人気者」とかと友達になりたいと考える。
そういう人達と仲良くなってこそ、
自分の株が上がるし、自分の価値も上がる。本気でそう考えていた。計算だ。
実際そういう人達に媚びへつらい、仲良くなったところで、
居心地は良くないし、楽しくなかった。
なので自分は直感を信じる。
俺は俺の直感だけを信じて
自分に取って合う人合わない人を見極めていく。
ちなみにメンタリストDAIGOが言うには100時間話すと合うか合わないかがわかるらしい。
この言葉を信じるなら
100時間話していない人はまだわからない。
100時間話して合う人は合うし合わない人は合わないんだろう。
「一年生になったら」という歌が"やり方"を教えてくれなかったのは
そこに気づかせる為だと今は思う。
自分に取って合わない人と人生を歩んでいく事は楽しくない。
この世の時間が無限にあるなら「合わない」人とでもなんとか仲良くなろうとしただろう。
しかし、この世の時間は有限だ。
合う人と楽しくやる時間しか残されていない。
俺はそう思う。
俺はコミュニケーションの仕方を少し知っている「直感」だ。