弄り(いじり)はパワーバランスが肝

弄りについて書こうか。

まず俺的弄りの定義を決めようかな。

 

「弄りというのは"信頼関係を築けている"他者の言葉に対して揚げ足を取ったり何らかの"落ち度"に対してツッコミをし、その場に居る人に笑いを提供する、そして"その場のパワーバランスを心地よい状態に維持する"」

 こういうような"商業な意味合い"が凄い濃い気がする。

プロの芸人がやる、プロの技術だ。

 

で、そういうTVやラジオを見た世間の人達は真似をしていく。

表面的にだ。

表面的な弄りは世の中に散乱している。

その辺のおじさんやおばさん、ギャルやキッズまでもが弄りというものやっている、そしてそれを弄りだと思い込んでるような気がする。

例えば信頼関係をあまり築けていない人をめちゃくちゃ弄ってその人が怒ったら

「ちょっと弄っただけや〜ん」

 

というのはめちゃくちゃあるシチュエーションなんだろうなとは思う。それでトラブルになって揉めて喧嘩になって疎遠になっていく。

これが世に蔓延う無数の人離れの原因になってる気がする。

 

めちゃくちゃリスキーだ。

なぜ、人々はそのリスキーなコミュニケーションを選ぶのだろうか?

 

手っ取り早く優越感を得たいというのはあると思う。

何か人より上に立ちたい、マウントだ。

動物的本能。

 

ただ技術的に言うと俺はどうしてもまだ「それではまだ半分やな」と思ってしまう。

"半分"だけやとそれは"イジメ"やわ。

 

相手を下げる、差を付ける。そして自分が上に上がった気になって優越感を得る。

 

大抵、ほぼ99.5%がここで止まってしまっているのだ。

 

松本人志なんかの一流芸人を見ると何人か居る芸人を弄って下げまくったりして

"こいつ下げまくったから、少し上に上げよう、じゃあさっき弄ったあいつも少し上げておこう、ちょっと上げ過ぎたな下に下げよう"とかを意識しながら

最後には自分を一番下げてる事でパワーバランスを取ってる事に気付くと思う。

 

ここで、弄りの起承転結が完成する。

 

これぞプロの芸なのよ

 

 

世間一般のコミュニケーションで弄りは多用されるがそれはめちゃくちゃリスキーな行為だよとはもう一回言っておこう。

 

信頼関係というクッションをまず下に敷き、その楽しい空間をまず作り出した上でようやくピラミッドの頂上にある弄りという面白いフェーズに移行出来る。

 

そういった事を意識して生きていけたら

なあと思う。