2年後12

PWORLDというサイトをずっと見ていた。

どういうサイトか?

それは全国のパチンコ店の情報が載っているサイトだ。

毎日毎日見ている内に全国のパチンコ店の"数"が少し減少しているのに気づいた。

どんどんどんどんパチンコ屋が減っている!

 

なんでや!

理由はすぐわかった。

 

いつものようにいつもの店でパチンコ打っていると、ある日"見知らぬ人達が集団"で打ってるのに気づいた。

 

あー開店プロ軍団がとうとう来たか?

と思った。

こいつらがイナゴの群れのようにパチンコ屋の利益を吸い取っていく。

 

それが俺にはわかった。

 

店側も対応策として"地元の人優先"みたいな整理券を配っていた。

 

けれどもイナゴの数があまりに多く、日に日にパチンコ屋の数は減っていた。

 

焦っていた。どうしよう。

 

そんな時、放送作家養成学校の事を知った。

東京の学校は50万、大阪は30万

 

パチンコはもう終わりだ。

30万払おう。そう決めて新たな道を見つけていった。

 

5年後1に続く

https://hauto3.hatenablog.com/entry/2018/12/14/004500

 

2年後11

そんな"死んだ魚の目"

をしながらパチンコを打つ日々の中

 

とある日、同じマンションに住んでる同期のNが「話あんねん、部屋来て」

と突然メールがあり5階から3階に降り慣れた階段を降り見慣れたドアのインターホンを鳴らして部屋に行くと、そこにはNともう一人見知らぬ男が居た。

 

Nは「紹介するわ同じ地元のFて言うねん。コンビ組むねん」

 

Fは「ヒラ3さんですね、話はNから"ある程度"聞いてます。宜しくです」

 

と言ってきた記憶がある。

俺は頭がパニックになり、それは

今までピンでずっとやってきたNにも聞きたい事は山ほどあったけれど、それよりもFに興味がめちゃくちゃ湧いた。

とりあえず見知らぬ男Fから話を聞く

 

「え?F君はなんでNと何でコンビ組もうと思ったん?」

 

F「Nとは高校の野球部で一緒になって知り合ってこいつ面白いなと思って友だちになったんです。」

 

「なるほど、で、なんでまた高校時代から数年経ってお笑いしたいと思ったん?」

 

Fは「"ケジメ"をつけたかったんです」

 

ん?ケジメ?

 

"ケジメ"という言葉の定義は?

 

ネットで調べると

 

「けじめをつける」とは、物事の区切りや責任の所在を明確にし、しっかりとした態度を示すこと。仕事とプライベートの線引き、失敗の責任を取る際などに使われ、曖昧な状態を解消して次に進む意味を持つ。類語には「落とし前をつける」「ケリをつける」「責任をとる」などがある。

 

NとFがコンビを組み、程なく何となくFとも仲良くなった。

最初の内はNと3人で話したりしてたけど

気付けばFと二人の時間も増えていった。

具体的に言うとパチンコ行ったりハンバーグ屋行ったりカラオケ行ったりだ。

だんだん仲良くなってFから「ステーキ食いに行きましょう」と連絡が来て嬉しくて

Fは散策が好きだったからこの街の隠れた名店でも探してきたのかな?と思ったら

思いっきり"やよい軒"だった事もあった。

あと、Fは音楽が好きだったので

木村祐一みたいなマスターが居る、独特な雰囲気な音楽BARにもよく行った。

そこのビールは必ずスタイナーの瓶ビールで必ず付き出しは柿ピーと決められていた。

 

そんな日々をFと過ごしながら

とある日、二人で夜道を歩きながら

公園で酒を飲んで話していた。

 

F「最近、ヒラ3君とばかり話してますね」

 

「まあ、コンビになったという事は仕事のパートナーやからな」

 

F「パートナー?」

 

「よく聞く話やけどコンビになったら情を抑える為にプライベートを分けるみたいな」

 

F「なるほど」

 

「F君て大阪来る前はどんな仕事してたん?」

 

F「家業を継いでました。で、父親に色々としごかれてまあ、カタチにはなりました。収入も増えてきてまあ、それなりにお金も貰いあまり生活にも困らなくなりました。」

 

「ええやん」

 

F「けれど、そういう日々を過ごしてる内に何かやり残した事があるなあと」

 

「やり残した事?」

 

F「あいつと何かに挑戦したかったんです」

 

NとFはコンビを組み、必死に挑戦し続けていた。オーディションを片っ端から受け、インディーズのライブにも精力的に参加していた。

けれど、その努力は実らず一年程、経った時、

Fは「突然ですが帰ります、ヒラ3君誰も知らないこの街で話し相手になってくれて今までありがとうございます。」

 

Fは一年という自分自身で時間を決めてたのか。

 

F「で、ヒラ3君に言いたい事があります」

 

「ん?何?」

 

F「ヒラ3君はインタビュアーに向いてます」

 

インタビュアー?は?なんやこいつ

俺はお笑い目指してるんだぞ!その瞬間、

ハッとした。どこからか声がする。

「ヒラ3さんて自分の事言わないで人の話ばかりしますよね?」

そう、わかってはいた。

自分の話なんか誰も聴かないし興味もない。

それはもっと子供の時から何となく分かってはいた。

故に仲良い人の話を聞こうと思った。

仲良い人の話を聞くと仲良いが故に必ず自分との"共感点"が生まれる。

なぜなら仲良いからだ。

今ではそれがハッキリと解る。

 

Fは地元に帰っていった。

Fが居なくなり、俺も話し相手が居ないので寂しくなったとき、一通のハガキが届いた。

Fからだ。

 

そのハガキにはめちゃくちゃデカい文字で

「絆」とだけ書かれていた。

 

続く

 

 

2年後10

まず俺がやった事。

軍資金を貯める。

少ない資金では確率の"下ブレ"が訪れた時にすぐ資金ショートしてしまう。またバイトで時間を失う。それでは効率が悪い。

ある程度、まとまった金が貯まった時に早速

近くのパチンコ屋に行き海物語を打ち始めた。

 

当時の西成は"低換金率"

42玉交換で2.38円

これはパチンコ知らない人に説明すると

まず客は玉を打つ為に店から玉を借りる。

玉貸し率は1玉4円

これは法律で決まっていて

1000円払うと÷4で250玉が借りれる訳だ。

で、250玉をハンドル回し弾く

 

ここで勘の良い方は気付いたかもしれない。

 

4円で借りて、換金する時には1玉2.38円なんでしょ?損じゃね?

 

そう!正にその通りで4円で玉借りました。

その瞬間にその玉の価値は

250玉×2.38=595円です。

あなたの1000円が"玉を借りた瞬間"に405円減る。つまり不利な状況から勝負が始まる。

じゃあ損やんけ!

 

当時の自分もこう思ってた。

 

けど今考えると店側は全然違う景色を見ていたと思う。

 

パチンコ屋は商売だ。

商売というのはいかに儲けを取るかを考える。

経営戦略だ。

 

2.38円という低換金率ならではの店側の戦略としては

"釘をガバ開き"にしてなるべく客の"滞在時間"を増やす事にしたと思う。

滞在時間をなぜ増やすか?

打ってる人が多い"賑わってる"店を人は人気店だと思うし、賑わってる店は人が"この店出るんじゃねえか?"と錯覚してくれるだろう。

 

けれどもガバ開きにしたら店が損するんじゃね?

 

そこで店側は客層を考える。

パチンコを打ってるお年寄りは大抵"止め打ち"をしなくて、どちらかと言うと常連同士の会話がメインだったのではないかと思う。

お金よりも人とのコミュニケーションを当時の年配の方達は重視していた。

定年である程度、家族も養ったし人生の役目を果たして来た方々の楽しみ、

今思うと勝っても負けても楽しそうだった。

 

だが当時の自分は勝ちに必死だ。

水道水はもう飲みたくない。

パチンコで勝つ為の戦略を必死で考えた。

 

実際に新海M27のボーダー(損益分岐点)が

1000円辺り42玉交換で22回転くらいだったと記憶している。

当時、自分は28回転くらいの台とか日によっては30回転くらいの台を毎日毎日打っていた。

当然、勝率7割くらいの計算になる。

 

最初の内は"勝った"時に嬉しいという気持ちになった。

自分の戦略は間違って無かったんだ。

感無量。

 

けれど毎日毎日が勝率7割が故に"勝ちに慣れてきて"出過ぎた日にはもう"確変終わってくれ"という大勝ちを否定するような気持ちに変わっていた。

"目立ちたくない"

それはプロ認定されて出禁喰らうと自分自身が困るからだ。

 

そういう気持ちで何年もパチンコを打ち続けていくと勝ち負けがどうでもよくなり

いつの間にか感情が消え、死んだ魚のような顔になっていった。

 

続く

 

2年後9

読み終えた瞬間、本格的にパチンコを始めようと思った。

疑問に思った人も居るだろう?

あれ?なぜスロットではないのか?

そこには自分なりの"戦略"がある。

まず釘は「目に見える」という事。

スロットの設定は「目に見えない」

要は打つ前に予め目に見えて予想しやすいのがパチンコ。

一方、回してみてデータを取らないとわからないのがスロットなので初期投資に差が出るなと思ったのだ。

あとパチンコは比較的年配のお金持ちが打っている。

スロットは同世代の金が無い若者が打っている。

必死で勉強するのはどっちだ?

そして何よりパチンコとスロットを比べた時に「カッコいい」のはどっちだ?

その「カッコいい」スロットに脳細胞がめちゃくちゃ多い賢い若者達が多数押し寄せてきている。

 

どっちの方が勝ちやすいか?

要は"ライバル"がどちらの方が自分が勝ちやすいか?だ。

「地味で年寄り臭くてダサい」俺の中で結論はパチンコ一択だった。

アカギという麻雀漫画で市川という盲目のプロ雀士の名言をここで思い出す。

 

「 華やかなことが好きな君に・・・わしは倒せんさ・・・」

 

 

ここで完全確率について少し触れておく。

例えばサイコロをクジだとして6が「当たり」とする。サイコロ振って6が出る率は6分の1だがだからと言って6回振って6が1回もしくは上振れで2回出る事もあれば12回振っても20回振っても出ない事があるだろう。

これが自然。

なので当時、自分が始めるにあたって危惧していたのは不正台、所謂、"遠隔店"のような物が蔓延ってたとしたならば自分の金は吸い上げられてしまうだろう。

それへの対応策としては2点、

これは地道な作業ではあるが自分で打って毎回大当たりの確率を調べる。

もう一つはその店で実際に打ってる人の話に耳を傾けるという事。

毎日毎日同じ台で打ってる年寄りはそういう事に敏感だ。

何よりその店で打ち続けている人が居るって事はその店が正規な店である可能性が高い。

 

西成という土地柄も味方した。

この店の釘は今日締まっている。

となれば店移動だ。当時、原付に乗っていて移動時間、30分以内の距離に20店舗以上の選択肢があった。

 

当時俺がよく打つのに選んだ台は新海物語M27だ。これは何よりどの店も大抵台数比率がMAXだ。多いが故に釘さえ見れたら選び放題な訳。

釘の見方もシンプルでまず見るべき所は"ヘソ"

まあSTARTと書かれた部分の釘。

これはまあ大抵の人はわかるだろう。

ここの釘だけで調整してる店も当時、多かった。

後は"寄り"スタートに導く為の風車がある部分、"ワープ"これは"ステージ"と呼ばれるSTARTの上にある部分でここが開いていれば必然的に回りやすくなる。

ステージについてもう一つ付け加えると

ステージには癖がある。その癖とは"傾き"

カイジを読んだ事がある人はわかると思うがパチンコ台は釘だけでなく傾きも微妙ではあるが変えれる。

これは見ただけでは判別出来ないので少し試し打ちをする必要があるのだ。

後は、出玉の釘。

パチンコは当たるとアタッカーという場所が開く。そこにも釘があるので、調整によって大当たりの出玉を削られボーダーが変わってくるのだ。

 

ボーダーとは何か?

これは一言で"損益分岐点"

このパチンコ台のスペック確率で公称の出玉なら3000回転大体一日中打ったと仮定すると

この回転率だと1万円勝てる

 

この回転率だと3万勝てる台だな。

そういう事がわかってくる。

 

続く

2年後8

ポートレースの前にはパチンコ三昧だった。

その時の話をする。

 

大阪に住み始めて半年くらいの時にめちゃくちゃ金が無くて同じマンションに住んでる同期のNに2000円借りた事もあった。Nは心配そうに「2000円で大丈夫か?」と聞いてきた。返す刀でカッコつけて「水道水飲むから大丈夫やな」というとNは見透かしたかのように「水道水飲んでる⁉️まじか!」と言って笑った。

 

なんとかしないといけない。

身体の中から警報装置みたいなアラートが鳴っている。

そんな時、ある本を読んだ。

それは本当に当時困っていて"たまたま"とある本屋で見つけてそのタイトルが目に映ったのだ。

 

「パチンコで勝つために」

 

たしかそんなタイトルだったと思う。

この本にたどり着いたのは奇跡だ。

当時の自分の現状が大阪に来る時に貯めた金がどんどんどんどんみるみる内に目減りしていく緊迫した状態。

 

何とかしないといけない。

アラートが止まらない。

睡眠が浅くなってきた。

 

夜、寝れなくて頭の中で「GAME OVER」

の文字がハリウッド映画のような"デカ文字のフォント"で出てきて、わざとらしいドリフのようなおばさん達の笑い声まで脳内で再生された。

 

考えてみればパチンコを打ったのは今まで地元で2回か3回くらいしかなかった。

 

けれどその2回か3回パチンコを打った時の違和感というのがその本を手に取った原動力かもしれない。

その本は

 

・パチンコは釘がいっぱいある。

・玉を弾くバネのような装置があり、重力によって釘の迷路を潜り抜けていくので下に落ちる玉はランダムだ。

・で、パチンコはどの機種でも大抵、真ん中に"start"と書いてある穴に入ると一回クジが引ける

・そのクジは基本"完全確率"だ

・そのクジは保留が4個まである

・4個以上はカウントされないので3くらいで止める必要が出てくる

 

その本を読み終えた時、

メラメラメラメラと訳のわからないパワーが湧いてきた。

「よっしゃ!やったるぞ!」

それは今思えば"生存本能"だ。

 

そのパワーは気付けばいつの間にか大阪に来た意義を見失っていた。

 

続く

5分後28

何やかんやでライブ当日を迎えた。

 

Wから前日「タクシーで割り勘して一緒に行きましょうよ」

と誘われた。

「わかった」と軽い返事をしたが内心焦っていた。うんち教の完成台本がまだ出来ていなかったからだ。

チームメンバーに直された所を放置してて

全く直していない。

もういっその事このまま自分の信念を貫いてこのまま正直に出そうと思った。

そうカッコつけたけれど根底にあるのは

 

"面倒臭い"

 

という逃げの気持ちだ。

自分自身に対して「この期に及んで何やねんお前!なんでや!お前がやりたいと言って始めた行動に対して面倒臭かったら

もう死ねや!チームにも迷惑やろ!そんな奴」と当時の自分に対して今なら言うだろう。

けれど当時から逃げの人間だった。

NSCに入った時も"消去法"だ。

いや、ずっと前から多分そういう人間なのだ。

 

タクシー内でWに「うんち教の台本直したんですか?」と聴かれた

俺はへへへといつもの笑みを浮かべながら

「いや、あれでええんちゃう?だからそのままや」と言った。

するとWは今までとは全く違った表情で

「ほんまあかんな」

と怒りを押し殺したかのような静かなトーン言った。

え?っと思って焦って俺も返す刀で

「なんやねん、別にええやんけ」

と一触即発な雰囲気で言うと

タクシーで二人共、無言になった。

いつもめちゃくちゃ喋ってたWとそういう感じになったのは初めてだった。

タクシーに乗ってて走る音があんなに鮮明に聞こえた事はない。

 

車窓から大阪の街の風景が流れている。

この街に俺は何しに来たのだろうか?

そういった事ばかり考えていた。

そういうセンチメンタルな感情に押し潰されそうになっていた。

ただ、救われたのがこの沈黙の時間だ。

息を整えて精神を整える時間がライブ会場に向かうまでには充分にあった。

まず考えてみると俺がうんち教台本を完成出来なかったのは単純な"実力不足"

だと、そこで初めて原因に気付いて

それならこれから先実力を付けていけば良いじゃないか?

という前向きな気持ちになったからだ。

今自分が出来る事、あり物で全力を出してやろうという気持ちになった。

冷蔵庫の余り物でめちゃくちゃ美味い物作ったるぞ!というポジティブな開き直りだ。

 

そのネガティヴからポジティブの反動でテンションがおかしくなってきて

ライブ会場に着いた時にWの肩をいきなりポンと叩いて「やったろうや」

と言うと「いきなりなんやねん」とWは少し笑みを浮かべながら言った。

 

続く

宝箱

小学生の頃にファミコンで遊んだ話

 

当時、家には親父が買ってきた色々なソフトがあったり友達とかからも貸し借りしたりで色んなゲームをプレイしていた。

プレイすると当初は

楽しいと同時にプレイする事よりもその"ゲーム機そのものへの愛着"がめちゃくちゃ強くてファミコンを購入した時の包装資材であるファミコンが入れられていた「箱」をすごく大切にしていて、もちろんゲーム機自体も大切にしていたので一回一回遊ぶごとにビニール袋に入れ付いてたハリガネで閉じて箱にしまうという面倒臭い作業をウキウキしながらしていた。

 

箱に仕舞う。

 

そういう作業自体が好きだった。

気持ち的には布団にその箱を抱いて眠りたいくらいだったと思う。

 

けれどそのうちにもっともっとゲームに夢中になっていくと箱に仕舞わなくなっていってしまった。

それは面白いゲームが当時出まくっていて道具をキチンと納めるよりも遊ぶことへの比重が高まっていってしまった結果

遊ぶというP(PLAY)がB(BOX)

を上回ったのだ。

P>B

遊んだ後は箱に入れずにそのまま放置するようになっていった。

そしてそれが当たりまえになっていった。


月日が経ちスーパーファミコンという新しいゲーム機が出たときにふと役目を終えたファミコンに目をやるとめちゃくちゃ黄ばんでいた。

プレイする事が夢中であるが故に気付かなかったのだ。

「めっちゃ黄ばんでるやん!」

 

その黄ばんだファミコンを見た時もうすでに"宝物という崇高なる存在"からもっと身近な"いつでも近くにいるような存在"にいつの間にか変わっていってしまったんだなと思った。

 

その役目を終えた黄ばんだファミコンをアルコールスプレーを噴射し優しい布で丁寧に拭いてビニール袋に入れ箱に納めた時に俺は多分生まれて初めて感謝という言葉を覚えたのかもしれない。