すき家の横を通ると「うな牛」の文字をよく見かける。
その時からずっと気になってた。
うな牛の内容より、その語感良いなあ。
素晴らしいなと。脳に刻まれた。「うな牛」が。
ただ、至らないのだ。
いざ、すき家に入りうな牛のメニュー表を見つつ、うな牛の語感に惹かれつつも至らないのだ注文には。
「ねぎ玉牛丼でお願いします」
うな牛に至るには、牛丼とうな丼を食べたい比率が”どちらか”に寄ると、辿り着けないのだ。寄ると牛丼で良いしうな丼に寄ると別にすき家じゃなくて良い。
それはメンチカツにも言える。
大抵、トンカツとハンバーグで「良いや」となるのだ。
たまたま、トンカツ:ハンバーグ比率5:5という「か細いか細い隙間」を針の糸のように縫って突き抜ける日々の奇跡的な可能性をただ「待つ」事しか出来ないのだ。
でも、奇跡を待たなくても至る道はある。それは”ネタ”としてだ。
ただ、それは倫理的にどうなのかとも思うので却下した。