外出GO

この糞暑い中皆さんいかがお過ごしでしょうか?

僕は糞暑いのが耐えられないので本当なら冷房設定温度20度の快適部屋から外に出たくないのですが、出ざるを得ない事があります。

それは「仕事」「友人との約束」「食料、水、タバコ、酒の調達」「歯医者」「目医者」等々の理由です。

 

外に出た時には色んな人と会う事になります。中には”自分が”「イライラする人達」と出会ったり見かけたりする事があって、例えば

 

・コンビニでクレームつけてるおっさん

・煽ってくる車

・機嫌の悪い仕事先の人

・泣き叫ぶ子供をヒステリックに怒るギャルママ

・質問すると鼻で笑う医師

 

「うわーだから外は嫌なんだよな!」

とイライラして外出を後悔するのですが

 

ここで、一つ疑問

「なぜ、自分はイライラしたのだろう?」という事。

 

その答えは多分、外出する時に

自分が出会う人が自分にとって「イライラしない人」ばかりだと想定していた、つまり「自分にとって都合の良い人」としか出会わないと想定していたからなのかもしれないと思いました。

 

もしコンビニに今から行くとします。

その時に「クレーマーおっさん」”居るんだろうなあ”と想定して出掛けると

もし本当に居たとしても「居た居たw」

と思い、むしろ自分の予想が当たった事により面白味すら感じるかもしれません。

 

面白味があるという事は更にそこから

これにゲーム性加えたらどうなるんだろうと思い先程の「イライラする人達」に出会ったら”点数”を貰えたら外出が楽しくなるんじゃないのかなあと思い、例えば

 

・コンビニでクレームつけてるおっさん→レア度50
・煽ってくる車→レア度10
・機嫌の悪い仕事先の人→レア度5
・泣き叫ぶ子供をヒステリックに怒るギャルママ→レア度30
・質問すると鼻で笑う医師→レア度60

 

と点数を付けると帰宅時に

「よっしゃー!今日はレア度120点だったぜ!」となるかもしれませんね。

 

そして、このゲームを実際にやると

「ちゃんとしてる人」ってこんなに居るんだなあと再認識でき、たとえ0点で帰ってきても決してイライラする事はないのかなあと思いました。

そして、自分が想定してなかった激レア度120点の人に出会い、想定外ゆえのイライラも発生するかもしれません。

 

あと、自分が誰かのモンスター激レア度150点にもう既になってるかもしれないという可能性にも気付くかもしれません。僕は誰かの激レアイライラモンスターになりたくはないので自分では気をつけてるつもりですが既になってるかもしれないなあと思いました。

 

良かったら試してみて下さいね。

 

 

 

 

 

 

誰のせい?

何か今現状にもし、イライラとかムカつくとかあれば、それは「自分のせい」

にしようと思います。それは正しいかどうかわからないけれど「とりあえず」

 

・いや、違うねんあいつがアホやねん…

・時代が〜

・なんで認められないんだろ…興味持たれないんだろ…

・できない…

・死にたい…

・幸せになりたい…

 

色々言い訳の嵐がやってきますよね。

で、これらの願いが叶わないのはハッキリ言うと、「アホ」だからだと思います。唇を噛み締めてもう「アホ」だからという事に僕はしようと思います。「アホやから人に興味持たれてないねん」「どアホ」だと僕はとりあえず自分の事を思う事にしてます。

 

アホを認めるとやっと良い事、希望の光が見えます。

 

それは「人の話をちゃんと聞く」

なぜなら自分がアホやからこそ他人は賢いとなり、だからこそ人の話をまっさらな気持ちで聞ける訳で

 

”アホを認める”と良い事はまだまだあって、ようやく色々な吸収出来るようになりました。色んな本も読んだり出来るようになりました。スポンジのように吸収するんですね。

 

今まで一人よがりでやってきてダメだった人生をアホになって取り返したいと思いました。

 

 

 

作文「すいか」

すいかは美味しい。すいかはみずみずしくて、清涼感も満点だ。

スーパーによく置いてある「カットすいか」なんて素晴らしい。爪楊枝みたいなプラスチックの色付き棒を「あひゃー」とぶっ刺して頰張るのだ。

僕はそんな最高なすいかに更に「あじ塩」を掛ける。

 

「おいおいw」「ないわ〜」「昭和!」「おじいちゃんかよw」「素材の味を殺してるね〜」「満点だと認識してるなら掛ける必要なくない?」

 

という、自分の心の声が自身に対して罪悪感を埋め込もうとしてくる。

 

少し考えた後、それらに対して僕はこう反論する。

 

「すいかは植物だ。そして、僕は人間。植物の力と人間の力が”協力”した時に化学変化、コラボレーションによってもっと高みを150点を目指せるんじゃないの?」

 

そういう言い訳をしながら今日も

「あじ塩」を振り、すいかを食べました。美味しい。

 

休息人間

休息って良いなあと思う。

きっと休息が好きなんだな。

高速のPAなんかはもう最高過ぎてニヤニヤする。

 

現実世界だけじゃなくてフィクションの中の休息シーンも好きだ。

 

プライベートライアンの最後の闘いの前に仲間達で煙草を吸いながら、本当どうでもいいような世間話をするシーン

 

それとかUボートが給油地点に立ち寄って新鮮なパンとか新鮮な野菜を潜水艦に運び入れるシーン。

 

刃牙だと範馬勇次郎とご飯を食べるシーン

 

FF4だとテントを張るセーブ場所

 

もしかしたら自分が今、行動してる全ての意味は休息に集約されてるのかもしれない。

 

「じゃあ、ずっと休息しとけやw」という声が聞こえる。

 

自分自身、ニート生活をしてた時期があって最初の内はうひょーだったけど

慣れるとだんだん好きかどうかわからなくなるんだよこれって。

 

だから、今自分なりに休息の為に文章を書くという行動してます。

 

 

コメダ物語

 

智はコメダ珈琲が好きだ。

智は今日も仕事終わりにコメダに行ったのだ。(週2、3回のペース)

仕事終わりの解放感も相まってウキウキワクワクしながら、コメダに入ると店員さんが「おタバコ吸われますか?」と聞く。

 

智は「しまった〜」「忘れてた!」と

顔真っ赤にした。

 

普段、智はその有難い言葉を言わせないように、煙草の箱を「印籠」のように

(とは言ってもどや!じゃなくてさりげなく胸ポケットから明らかに見えるくらい箱を過剰に出しておく)

 

示しておくという配慮をしていたのだ。

 

智は申し訳無い気持ちと(まあ仕事の解放感で気が緩んだだけ)という言い訳の思いが濁ったような声で「はい」と言うと、店員さんは喫煙室(ドアという仕切りによって完全分煙)に手招きのジェスチャーで案内してくれた。

 

その時、智は後ろ髪引かれるような思いが毎回一瞬だけして、それは「いつか、向こう側(煙草の汚い煙が一切ない空気の綺麗な世界)に行きたいなあ」という気持ちに毎回なる。

 

なので、智は罪人のような気持ちで喫煙室のドアを開ける。

喫煙室に入ると自分が喫煙者にもかかわらず一瞬「くさ!」となるが、「まあ、、そうだよね〜」と智は自分を納得させつつ、自分自身の喫煙からなる「臭さ」という業を受け入れるのだ。

 

「お好きな席にお座り下さい」と言われ智は少し頭を悩ませる。

智は大抵”1人”で行動してるので、どこの席に座るかが問題だ。

4人掛けのテーブルに1人はちょっと恐れ多く、2人掛けのテーブルがあればそこに座る。ちょうど空いてた。

智「ラッキー♪」

(カウンターがあれば良いのだがコメダは無い店が多い)

 

席に座るともう一つの空席を鞄で埋めつつ智は「椅子やっぱ良いなあ」と小さく呟きながら良い椅子の感動少し浸ってると、程なくして店員さんが来た。お冷を置きつつ

「ご注文、お決まりになりましたらベルを押して下さい」

 

ここで、智は素直に「はい」と言いたい気持ちを押し殺す、というより自分のクソみたいな「拘り」によって店員さんを”ここで帰したら”店員さんは往復しなきゃいけない訳で二度手間になる。「帰したら二度手間」が頭をよぎり、

 

智「あっ注文良いですか?」

 

「はい!(笑顔が可愛い)」

 

智は、「コメダのピザとアイスカフェオレ”シロップ入り”で」

 

智は我ながら「完璧だなあ」と自分に酔っていた。

 

コメダのピザ」の正式名称は「コメダ特製ピザ」だ。けれどコメダ特製ピザというとなんとなく店員さんに対して、「正式名称全部言わないとわからない輩なんやろ?」

 と圧を与えてる嫌な客と思われるかもしれない。

かと言って、「ピザ」とだけ伝えると、なんかぶっきらぼうだし、「ピザトースト」と混同されて「コメダ特製ピザの方で良かったですか?」と聞き返されかねない。

 

だからこその「コメダのピザ」という

完璧なオリジナリティ溢れる言い回しに智は酔っていた。

 

その刹那、「カフェオレは食事の前と後、どちらにお持ちしましょうか?」

 

それを言われた瞬間、智の全身に雷の音が鳴り響いた。

智「あわ、あわわ、先にお願いします…」

 

完璧だと思ってた。完璧だと思い込んでた。”そこから”の角度からのショック。

 

智は仕事の終わりの疲れが

また舞い戻ってきたかのような

感情で全身を支配されていたのだ。

 

 

続く

 

 

 

 

心が死にたがってるんだ

歯医者に行く日が6月12日だった。

今日は17日だ。

けど、「行ってない」し

電話掛かってきたけど無視した。

そして、今現在、予約を取り直す電話をかけ直してない。

なぜだろう?

 

そもそも重要な事なら忘れないと思う

生きる上で、「歯」は重要な物だ。

ひょっとして自分にとって重要な事じゃなかった?

 

もしかして心が死にたがってた?

 

前にTwitterでツイートした事があるけど

病院にせっせと通う人はある意味元気だと思う。「だって生きたいという意思があるから」

 

で、この事を今書いてる時点で

「自分はまだ死にたくない」という事なのかな。

今日こそは歯医者に電話しよう。

 

イメージの奴隷にならない

これは、ザ・クロマニヨンズ(ザ・ブルーハーツ)のマーシーが言った名言だ。

 

「他者」が自分自身に対して「どういう風に思ってるか?」つまり、「自分自身がどう他者に映ってるか?」を皆さんはイメージする事はないだろうか?例えば

 

「あの人には好かれてる”かも”」

「あいつには面白いと思われてる”かも”」

「上司には一目置かれてる”気がする”」

 

等々

 

要は、真か嘘かわからないけど他者のイメージを僕達は日々めちゃくちゃ”気にして生きている”のかなあと。少なくとも、僕はめちゃくちゃ気にしてる。その方が日々の会話、生活が何事もなく円滑に進み、なによりそれに”沿っていく”と

 

「楽」だからだ。

 

それに、「好きな人」「面白い人」「上品な人」に”認められた”と勝手にイメージして思う事は 「嬉しい」「ハッピー」「やったー(^-^)」だからだ。

 

でも、よくよく考えれば、なぜ人が人に認められないといけないの?と考えた時に「羊が羊飼いに頭を撫でられてニコニコしてる」イメージが頭の中を沸いてきて

 

違うだろ!と。

 

これは自分の体験談で前の職場に物凄く高圧的で怖い上司が居た。

いつもミスしまくって怒られてた。

”なぜかその上司の前ではミス連発”してしまうのだ。なぜか?今は分かっている。それは

 

まず、自分が怖い上司を勝手にイメージする

上司は怖いので上司のイメージの中の”自分を演じないといけない”

上司のイメージを想定すると自分のイメージは「駄目でどうしようもない部下」

上司のイメージを損なわないように

「自分はミスしなきゃいけない」

ミス連発

 

要は他者のイメージを想像すると

そこに囚われて奴隷になるのだ。

 

よく女の子が彼氏の影響を受けて、女の子らしくない趣味に走ってるのを皆さんも見かけた事はないだろうか?

 

それは、羊、つまり奴隷

でもそれは「進んで好きな彼氏」の奴隷を希望したのかもしれない。

 

 けれど、僕はもうイメージの奴隷にならない

 

全部無視して、自分のイメージだけを増大していく自由な狼であろうと思います。