飲食店の裏側

‪仕事柄、飲食店の裏側を見る事が多くて中には「うわあ…汚ねえな…この店でだけは食べたくない…」ってお店があって、『そういう店の旦那さん』に限って‬


‪旦那「おい、兄ちゃん今度一回食べにきてくれよ!」‬

僕「あ、はいわかりました”今度”是非いきます!(絶対にいかないのでちょっと罪悪感があるが致し方なし)

旦那「そうか!じゃあさっそく今日とかどうや?」
‪僕「(うわっやば…どうしよう…お腹ペコペコやけど”この店だけは嫌だ”さっき見た腐った肉の匂いがまだ鼻に残ってる)あ〜すみません…さっき食べたんですわ…」‬

旦那「え?お前まだ12時前やぞ?仕事中やろ?」

僕「(しまった〜)えーと…実はさっきコンビニに寄って、、、」

旦那「ははは、そうか食いしん坊やのうにいちゃんは〜」

僕「(よし切り抜けた!)そうなんですよ〜〜僕、1日5回くらい食べるんです」

 

その刹那、「あっやってしまったな」と思った。この状況を切り抜けた嬉しさで気が緩み”余計な”贅肉を付けて返してしまったと…くるなくるな…

 

旦那「それにしてはそんな肥えてないのう?」

 

きた

 

僕「代謝が良いんです…ハハハ…(我ながら苦しい)」

 

 

旦那「(表情が真顔になり)食べたくないんか?

 

嘘がバレた。しかし、嘘だけは避けないといけない。もうこうなったら最終手段

 

僕「何言ってるんですか旦那さん今日夕方、仕事終わったら食べにいくんで絶対!」

 

で、昨日の夕方、渋々食べに行ったら

ハードルが下がってたせいもあってか

何食べても「あれ?結構美味いな」で。

「ていうか普通に美味しいやん」と

 

ちゃんちゃん

 

ボケノートの思い出

昔、僕は瓜という名前でネット大喜利をやってました。(その前にはボケ天というサイトがあったみたいですね。

 

成績がイマイチ上がらなくて自分はいつも中位から下位の間で多分誰の記憶にも残らないボケを連発してた思い出があります。(シェンさんは覚えててくれましたねありがとうございます)

 

そんな中で凄いなあって「競い合ってるのを忘れてしまうくらいの」思う人達が居て衝撃的だったのは

 

デカ丸さん→理性的な天才のイメージ(めちゃくちゃ賢いんだろうなというのが伝わってくる)

地下鉄サムさん→切れ味抜群の日本刀のような人のイメージまさに真剣のような鋭い答えしかない

虫こないさん→バランス感覚の良さ(あらゆるお題に対応出来る言い回し発想力ずば抜けていた)

 

そして、どん君ですね。

 

「この人だけが…自分自身の考えた答えに純粋に向き合って自信満々で答えてる…」

 

え?ネット大喜利だよね?

ゲームだよね?競い合いじゃないの?

 

そんなものを全部無視してどん君は

「自分自身の評価が絶対。他者評価はどうでも良い」をずーっと貫き通してて

え?もしかして生まれてからずーっと?

 

ああ、カリスマってこういう事なのかなあと改めて思いました。

 

人生初の「参りました」でした。

 

 

 

悔いのない生き方は後悔の繰り返し

これはザ・ハイロウズのシッパイマンという曲の詞だ。

 

解釈が難しい…

 

悔いのない生き方というのは人生に置いて「自分の意思で能動的」に選ぶという決断をし続ける事。つまり、この世に生まれた瞬間に「有限」の人生が発生してる訳で、「選択」を無限に引き伸ばす事は神とかお釈迦様のような人でない限り出来ない気がする。

 

で、どういう「決断」したとしても「後悔」は常につきまとうけれども、それでも前向きに生きて行こうぜという曲なのかなと。

 

思った。

つみきの子

5歳になったサトシはリビングで恍惚の表情を浮かべながらつみきをしていた。

 

母「あら、サトシよく出来たね〜何これ?」

サトシ「富士山」

父「富士山かあ!大きくなるぞお前は!」

サトシ「えへへ」

 

サトシは”リビング”でいつもつみきをする。そうすると、父や母、この家にたまに来る祖父や祖母、父の友人、母の友人色んな人が話しかけて喜んでくれるからだ。サトシはそれが嬉しくて嬉しくてつみきに夢中になるのだ。

サトシ「明日は何作ろうかな〜」

サトシは毎日毎日、明日のつみきの新作を楽しみにしながら幸せな気分で寝る。

 夢でも聞こえてくるこの声

「すごいな〜サトシは!」

 

そしてサトシは8歳になった。

いつものようにリビングで236回目の新作のつみき

パキスタンのゴミ屋敷」を自信満々な表情を浮かべ、「どや!」っと披露した。

 

母「…ああ、なるほど…ね…」

父「…それよりサトシ…学校はどうだ?」

 

その刹那、サトシは雷を浴びたかのような衝撃と共に違和感が頭を支配した。

「え?」「あれ?」「おかしいな」「喜んでない?学校?何それ」

けれど、サトシは今まで200数回の実績があるため、「まあ、たまたまだよな」

と自分自身を納得させ、「明日こそは」

とまだまだあるつみきの新作ストックを胸に寝た。

しかし、そのサトシの思いとは逆にこの日を境にドンドン事態が深刻化していく。

 

母「はあ…また”それ”もういいからいいから…」

父「”そんなもの”より宿題まだか?」

 

サトシはその日、自分の部屋で泣いた。

「モハメドアリのグローブ」「対戦車地雷」はまあ、百歩譲ってわかる。けど

ガガーリンと三途の河」まで全滅とは…

 

心がポキっと鳴った気がした。

 

その日からサトシはつみきをやめた。

魚の死んだ目をしながら無気力な日々が続いていった。

そして今まで「つみき」をする理由で友達の誘い断っていたが暇なので友達と遊ぶようになっていった。

 

ある日のことサトシは友達の家で生まれて初めてTVゲームやってみた。

「楽しい!なにこれ!」

 

久しぶりに味わった衝撃。サトシは「これだ!」と思い、家に帰ると両親に「TVゲームを買って欲しい」とお願いをした。

やっと”つみき”を諦めてくれたと思ったのか父も母も

 

父「そうか!父さんと一緒にやろう、明日帰りに買ってきてやるよ!」

母「ずるい〜〜母さんもやるわよ!」

 

興奮して嬉しそうだ。サトシ自身も、TVゲームはたしかに楽しいし久しぶりに幸せだなあと感じていた。

 

しかし、なにかが違う、と思った。

「つみきが無くなったから今度はTVゲーム?」

 

サトシは自分の部屋に戻り

 

久しぶりにつみきがしまわれてある引き出しを開け、つみきをやってみた。

 

その瞬間、サトシは確信した。

 

次の日からサトシは”自分の部屋”で誰にも見せない自分だけのつみきを幸せそうに再開した。

 

 

読んだ事ない架空の自己啓発本の感想

うーむ、今ようやく「傷付かない」生き方というものがわかった気がする。

 

他人に対するイライラの原因は全て「自身の期待値の高さ」つまり「見返り」という『欲』に由来するもので、ならば欲のレベルを0に下げれば良いのかなと。

 

例えば、他人に「ありがとう」と言ったら「ありがとう」が返ってくるのを期待さえしたかったら、もし、返ってきた時には「ありがとう」を心の底から嬉しく感じる。

 

ようやくわかったよありがとう自己啓発本

 

 

 

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食べたい物

まあ、こう毎日毎日生きるために”食べなきゃ”と思って、メニューに頭を悩まされる。

 

カツ丼「今日は僕だよねえ〜?w」

寿司「夏が来ましたね〜やっぱり…僕でしょ?w」

ラーメン「塩ですか?w味噌もありますよw」

カレー「週2で食べるなんて///もう、エッチねw」

 

こういう”常連メンバー”は「いずれまた選ぶんでしょ?w」という余裕があって、チャラチャラしてる。

 

そのピョンピョンポップに飛び跳ねてるスター達の隙間から悲しそうな顔で「体育座り」で座ってる奴らが居る。

 

うどん、メンチカツ、ハムカツ等の所謂”二軍”メンバーだ。

彼らはボソボソ、と何やら会話を交わしている。耳を澄ますと、

 

「俺ら月一候補やけど、干物達よりマシだよなあ。」

 

え?”自分より下の存在”をイメージして

二軍は二軍なりの「アイデンティティ保ってるのかよ…」

 

…明日はカレー曜日だ。

 

 

 

 

うな牛に至る道

すき家の横を通ると「うな牛」の文字をよく見かける。

その時からずっと気になってた。

うな牛の内容より、その語感良いなあ。

素晴らしいなと。脳に刻まれた。「うな牛」が。

 

ただ、至らないのだ。

いざ、すき家に入りうな牛のメニュー表を見つつ、うな牛の語感に惹かれつつも至らないのだ注文には。

「ねぎ玉牛丼でお願いします」

 

うな牛に至るには、牛丼とうな丼を食べたい比率が”どちらか”に寄ると、辿り着けないのだ。寄ると牛丼で良いしうな丼に寄ると別にすき家じゃなくて良い。

 

それはメンチカツにも言える。

大抵、トンカツとハンバーグで「良いや」となるのだ。

たまたま、トンカツ:ハンバーグ比率5:5という「か細いか細い隙間」を針の糸のように縫って突き抜ける日々の奇跡的な可能性をただ「待つ」事しか出来ないのだ。

 

でも、奇跡を待たなくても至る道はある。それは”ネタ”としてだ。

 

ただ、それは倫理的にどうなのかとも思うので却下した。