ライ麦畑でつかまえて

そう、この小説を何か急に思い出しちゃって至ても立ってもいられない訳じゃないけど何となくずっと(と言っても半年くらいほったらかしにしてただけだよ)さっき全部読んだから、あくまでも記録として書こうと思うんだ。だから、決して”読んだ興奮”で感情が高まって文体、台詞からホールデン・コールフィールドに似せてるんだなあとか思っちゃダメだよ。

それは間違った解釈の仕方なんだ。

それ程、僕は相手が誰であったとしても勝手にイメージしちゃいけないと思ってる。どうしようもない奴だけどそれだけは守ってるんだ。

だって相手が僕の事嫌ってるなあと思っちゃったら一歩も身動き取れなくなっちゃうじゃないか。

(わかってるはいると思うけど”好かれてるなあ”でももちろん一緒だよ。)

 

一歩身動き出来ないと言えば台風だね。

さっき来たんだこの街にも。

で、僕は買い込んだんだ、面倒臭いとは思いつつも食べ物とか水をね。

 

その時に何か急に昔の事思い出したんだよ。

 

小学校の頃、台風がきたんだ。

でかかったと思う。

で、停電したんだ。

僕は凄く怖くて怖くて、でも兄貴なんかテンション上がっちゃってロウソクなんかいつの間にか手にしちゃってるんだよ。

あれは早かったなあ。

早すぎて親父に文句言われたくらいだ。

その文句の内容を今でも覚えてるんだが

てんで頓珍漢な物言いなんだよ。

 

「通知表に”せわしない”って書かれてたぞお前。こういう時こそ落ち着いてちゃんとせんか!」

違和感を感じたんだ。

親父としては何か”自分の手柄”を取られたと思ったに違いないんだよ。それ程プライドの強い親父なんだ。

 

で、ロウソクに火を点けるのは親父で

その時の親父の得意げな憎たらしい顔ったら無かったなあ。君にも見せたかったよ。逆転ホームランを打ったかのような清々しい顔なんだ。

 

火が点いた時にみんな安心して「わあ」とかなんたら声を上げてたんだけど

 

みんなが安心したらひどく不安になっちまったんだ僕は。元来のあまのじゃくなんだねきっと。だからロウソクの火を吹き消そうと思ったんだけど親父が何か泣いてしまうんじゃないかなと思って止めてしまったんだ。

 

そんな事、思い出しながら書いてたら

いつの間にか台風も止んじゃって

全然、外に食べに出れるんだけどさっきインスタント麺を食べたんだ。

美味しかったよ。

 

父に捧ぐ

 

浜崎あゆみオフ

突然ですが浜崎あゆみオフをいつか開催したいと思います。

なぜ浜崎あゆみなのか?

それは僕は今まであまり知らなかったけれど今知りたいなあと思ったので。あと浜崎あゆみさんが時の人となってた時代を自分が生きたにも関わらず知らない自分が恥ずかしく思ったのもあります。

 

なので「浜崎あゆみオフ」やります。

 

来て頂く人達もなるべく浜崎あゆみを知らない人(自己申告で)でお願いします。

 

オフ会の流れは

 

13時 開始(浜崎あゆみのCDが室内に大音量で鳴っている中、簡単な自己紹介をする。自己紹介終われば談笑タイム)

 

14時 「どの曲が良かったか?」というテーマで討論

 

その討論例

 

「それでは始めましょうか」

「あの〜皆さん、僕さっきの自己紹介の時に気持ち良くなってきてずっと足でリズム取ってたのわかりました?」

「(一同)いや〜わかりませんでした」

「ちょっと待って下さいね、(アルバムの冊子を見て曲名を調べる)」

「boys&girlsですね」

「あーちょっとアップテンポのですかな」

「わかります」

「それも少し気になってたんですが、僕はやっぱ最後の」

「(アルバムの冊子を見て)trustですね」

「ないですわ〜〜」

「え?一番良かったんじゃないですかね?泣きそうになりましたよ?」

「わかるんですけどそれなら、その前の(アルバムの冊子で曲名を調べる)to beの方が歌詞も良かった気がします」

「いやいや、歌詞の深さで言うならtrustが〜」

 

このように盛り上がるかもしれません。

「何かに対して興味のある人達のオフ」

というのが普通に行われてる事ではありますが、

「何かに対して興味がない人達のオフ」というのも成立するのではないかと思いました。

 

このオフの良い所は「新たな知識、興味を同士達と共に0から得れる」という所でしょうか。それは最初から「興味があって集まったオフ」よりも深い繋がりが出来る気がします。

 

そして、興味が無いものは浜崎あゆみ以外にもたくさんあってテーマに困らないといった所も利点な気がします。

 

皆様、気になった方いらしたら是非やりましょう。

 

あ、さっき聴いてたらto be 良かったです。

 

 

 

 

 

なにもしてない

これは読んだ方もいらっしゃると思いますが笙野頼子さんの本のタイトルで今読んでる所です。

数年前にある友人に教えてもらったのを思い出し、読んで見ようと思いました。

 

ネタバレになるのでストーリーは書きませんが「なにかしてる状態」は主人公は安心する。「なにもしてない状態」は不安になる。その状態を交互に繰り返しその都度、自分の個人的に思った気持ちの流れを表したい構成を取ってるんじゃないかなと思いました。(まだ全部読んでないので勝手に想像しました)

 

で、自分で「なにかしてる状態」と「なにもしてない状態」どちらが落ち着くのかなあと考えたら

僕自身は「なにもしてない」状態でした。

 

なぜ、こんな差異があるかなあと疑問が湧き

 

一応現時点での答えは笙野頼子さんは現在61歳で僕の両親の歳に近い。

 

両親から昔話を聞くと「とにかくいっぱい仕事した」「忙しかった」と自慢話が混じってるような発言が多い。

 

すなわち「昔は忙しいのが”当たり前”だったからなにもしてないは不安」

今は逆で裕福な時代になって”暇だから”

「安心する」

 

よって、時代の違いによって安心と不安の位置がズレていくのじゃないかなあと思いました。

 

 

 

 

 

外出GO

この糞暑い中皆さんいかがお過ごしでしょうか?

僕は糞暑いのが耐えられないので本当なら冷房設定温度20度の快適部屋から外に出たくないのですが、出ざるを得ない事があります。

それは「仕事」「友人との約束」「食料、水、タバコ、酒の調達」「歯医者」「目医者」等々の理由です。

 

外に出た時には色んな人と会う事になります。中には”自分が”「イライラする人達」と出会ったり見かけたりする事があって、例えば

 

・コンビニでクレームつけてるおっさん

・煽ってくる車

・機嫌の悪い仕事先の人

・泣き叫ぶ子供をヒステリックに怒るギャルママ

・質問すると鼻で笑う医師

 

「うわーだから外は嫌なんだよな!」

とイライラして外出を後悔するのですが

 

ここで、一つ疑問

「なぜ、自分はイライラしたのだろう?」という事。

 

その答えは多分、外出する時に

自分が出会う人が自分にとって「イライラしない人」ばかりだと想定していた、つまり「自分にとって都合の良い人」としか出会わないと想定していたからなのかもしれないと思いました。

 

もしコンビニに今から行くとします。

その時に「クレーマーおっさん」”居るんだろうなあ”と想定して出掛けると

もし本当に居たとしても「居た居たw」

と思い、むしろ自分の予想が当たった事により面白味すら感じるかもしれません。

 

面白味があるという事は更にそこから

これにゲーム性加えたらどうなるんだろうと思い先程の「イライラする人達」に出会ったら”点数”を貰えたら外出が楽しくなるんじゃないのかなあと思い、例えば

 

・コンビニでクレームつけてるおっさん→レア度50
・煽ってくる車→レア度10
・機嫌の悪い仕事先の人→レア度5
・泣き叫ぶ子供をヒステリックに怒るギャルママ→レア度30
・質問すると鼻で笑う医師→レア度60

 

と点数を付けると帰宅時に

「よっしゃー!今日はレア度120点だったぜ!」となるかもしれませんね。

 

そして、このゲームを実際にやると

「ちゃんとしてる人」ってこんなに居るんだなあと再認識でき、たとえ0点で帰ってきても決してイライラする事はないのかなあと思いました。

そして、自分が想定してなかった激レア度120点の人に出会い、想定外ゆえのイライラも発生するかもしれません。

 

あと、自分が誰かのモンスター激レア度150点にもう既になってるかもしれないという可能性にも気付くかもしれません。僕は誰かの激レアイライラモンスターになりたくはないので自分では気をつけてるつもりですが既になってるかもしれないなあと思いました。

 

良かったら試してみて下さいね。

 

 

 

 

 

 

誰のせい?

何か今現状にもし、イライラとかムカつくとかあれば、それは「自分のせい」

にしようと思います。それは正しいかどうかわからないけれど「とりあえず」

 

・いや、違うねんあいつがアホやねん…

・時代が〜

・なんで認められないんだろ…興味持たれないんだろ…

・できない…

・死にたい…

・幸せになりたい…

 

色々言い訳の嵐がやってきますよね。

で、これらの願いが叶わないのはハッキリ言うと、「アホ」だからだと思います。唇を噛み締めてもう「アホ」だからという事に僕はしようと思います。「アホやから人に興味持たれてないねん」「どアホ」だと僕はとりあえず自分の事を思う事にしてます。

 

アホを認めるとやっと良い事、希望の光が見えます。

 

それは「人の話をちゃんと聞く」

なぜなら自分がアホやからこそ他人は賢いとなり、だからこそ人の話をまっさらな気持ちで聞ける訳で

 

”アホを認める”と良い事はまだまだあって、ようやく色々な吸収出来るようになりました。色んな本も読んだり出来るようになりました。スポンジのように吸収するんですね。

 

今まで一人よがりでやってきてダメだった人生をアホになって取り返したいと思いました。

 

 

 

作文「すいか」

すいかは美味しい。すいかはみずみずしくて、清涼感も満点だ。

スーパーによく置いてある「カットすいか」なんて素晴らしい。爪楊枝みたいなプラスチックの色付き棒を「あひゃー」とぶっ刺して頰張るのだ。

僕はそんな最高なすいかに更に「あじ塩」を掛ける。

 

「おいおいw」「ないわ〜」「昭和!」「おじいちゃんかよw」「素材の味を殺してるね〜」「満点だと認識してるなら掛ける必要なくない?」

 

という、自分の心の声が自身に対して罪悪感を埋め込もうとしてくる。

 

少し考えた後、それらに対して僕はこう反論する。

 

「すいかは植物だ。そして、僕は人間。植物の力と人間の力が”協力”した時に化学変化、コラボレーションによってもっと高みを150点を目指せるんじゃないの?」

 

そういう言い訳をしながら今日も

「あじ塩」を振り、すいかを食べました。美味しい。

 

休息人間

休息って良いなあと思う。

きっと休息が好きなんだな。

高速のPAなんかはもう最高過ぎてニヤニヤする。

 

現実世界だけじゃなくてフィクションの中の休息シーンも好きだ。

 

プライベートライアンの最後の闘いの前に仲間達で煙草を吸いながら、本当どうでもいいような世間話をするシーン

 

それとかUボートが給油地点に立ち寄って新鮮なパンとか新鮮な野菜を潜水艦に運び入れるシーン。

 

刃牙だと範馬勇次郎とご飯を食べるシーン

 

FF4だとテントを張るセーブ場所

 

もしかしたら自分が今、行動してる全ての意味は休息に集約されてるのかもしれない。

 

「じゃあ、ずっと休息しとけやw」という声が聞こえる。

 

自分自身、ニート生活をしてた時期があって最初の内はうひょーだったけど

慣れるとだんだん好きかどうかわからなくなるんだよこれって。

 

だから、今自分なりに休息の為に文章を書くという行動してます。