これは読んだ方もいらっしゃると思いますが笙野頼子さんの本のタイトルで今読んでる所です。
数年前にある友人に教えてもらったのを思い出し、読んで見ようと思いました。
ネタバレになるのでストーリーは書きませんが「なにかしてる状態」は主人公は安心する。「なにもしてない状態」は不安になる。その状態を交互に繰り返しその都度、自分の個人的に思った気持ちの流れを表したい構成を取ってるんじゃないかなと思いました。(まだ全部読んでないので勝手に想像しました)
で、自分で「なにかしてる状態」と「なにもしてない状態」どちらが落ち着くのかなあと考えたら
僕自身は「なにもしてない」状態でした。
なぜ、こんな差異があるかなあと疑問が湧き
一応現時点での答えは笙野頼子さんは現在61歳で僕の両親の歳に近い。
両親から昔話を聞くと「とにかくいっぱい仕事した」「忙しかった」と自慢話が混じってるような発言が多い。
すなわち「昔は忙しいのが”当たり前”だったからなにもしてないは不安」
今は逆で裕福な時代になって”暇だから”
「安心する」
よって、時代の違いによって安心と不安の位置がズレていくのじゃないかなあと思いました。