5年後18

放送作家Wとのラジオチャンネルhttps://youtube.com/channel/UCayPTsqW0omNzqRVpFDe4Yw

 

の第二回を自分で今聴いて思う事は、"経験しておいて良かったな"という事である。

Wは今東京で現役作家としてバリバリやってるなか、そういう奴と今でも普通に話せると言うのは運が良いとしかいいようがないし、改めて塾に行って良かったなと思う次第である。

 

で、Wとの話で出てくる、

M1の審査員として入っていた先生の家で先生と見る年末の行事の話は今でもくっきり記憶として鮮明に覚えている。

 

先輩の誰かが言い出した。

「M1は年末にあるからついでに先生の家を大掃除しよう」

後輩の俺たちは若干「なんで掃除?」という気持ちはあったが先輩が言ってるからわかりましたと従うしかないし、たしかに時間もあるしお世話になってるからそういう事ならやろうと思っていた節はあった。

そして、当日昼くらいに集まりみんなで

掃除し始めた。

ちなみに掃除の後に鍋を囲む予定だったのでみんながそれぞれ鍋に入れる具材を一つ持ってくるみたいな流れだったと思う。

自分は王将の生餃子を10人前くらい持っていったのを覚えている。

掃除が始まり先生の居間を掃除していると"コンビニ弁当"のガラが見つかった。

その時に自分は「こんな大御所でもコンビニ弁当食べるんだな」と思ったのを鮮明に覚えている。

それほどその時にあった"ミックスグリル弁当のガラ"は異彩を放っていたのだ。

哀愁の象徴がそこにはあった。

 

大掃除も一通り終えて、鍋の準備も出来、M1が始まる直前にみんなで乾杯をし、楽しい宴が始まった。

先生のマンションの部屋は最上階のテントハウスみたいな所で

リビングだけでも20畳くらいあるような部屋だ。

M1終わりくらいにみんながみんな

酒の酔いで出来上がってきてた。

 

気持ち良くなられていた先生が唐突に彼女を呼ぶと言い出した。

 

先生は彼女がたくさん居た。

先生の逸話は色々聴いていた。

夜の街で飲み歩いてる途中、自分が良いなって思った女性が居たら絶対に声を掛けるという事である。

「そこで声掛けなかったら一生会う事ないやろ」という力強い言葉を今でも覚えている。

 

さあ、そして先生の彼女が来た。

先生とイチャイチャしてるのを生徒全員が見つめているなか、

先生が生徒の群れを見回しながらこう言った。

 

「舐めてもらったらええねん」

 

一同ざわめいて

「いや、そんなめっそうもない」

「それは出来ないです」

みたいな声が飛ぶ中、

 

先生が指名をし出した。

「K!!!ちょっとやってもらえ」

 

呼ばれたKはおどおどしながら下半身裸になり彼女との"行為"が始まった。

 

ちゅぱちゅぱという音が聞こえる中、

先生がニヤニヤしながら「どうや?」

と何回も小声で聞く声が聞こえる。

Kは「めちゃくちゃ良いです」とは言ってるが、物は緊張の為か全く反応していない。

そこを先生が鋭く指摘していく

「心と身体が真逆の反応を示してるがな?どういうことなんや」

K「え、いや」

「お前あかんわ!次、M!」

 

Kがどかされて、次にMが挑戦者として出る事になった。

Mは"1日の慰め行為"が36回という驚異的な記録を持つ猛者だ。

塾生の中では明らかに世界チャンピオン

先生からのドラフト一位指名は当然の事である。

 

だが、しかし

 

Mも意気揚々と下半身を曝け出し行為をされるが

 

全く反応していなかったのだ

 

Mは「あれ、おかしいなおかしいな」

と言いながら自分の太ももをなぜかずっとどついていた。

 

先生のイライラは頂点に達し

「どういう事やねん!俺の彼女が悪いんか?いやそんな事ない!お前の1日36回と言う記録を疑わざるを得ない、幻滅した」

と言った。

先生は生徒のあまりの体たらくに

「お前らもうええわ、期待したワシがアホだったわ」

と匙を投げ始めた。

 

そんな中、一人勇者が手を挙げた

「僕に挑戦させて下さい」

 

Uだ。

 

先生が「ああ、Uか、、お前なんか絶対無理やろ、まあやったらいいけど」

 

と全く期待していなかった。

 

そんな中、Uに対して彼女が行為を始めると瞬く間にUのイチモツが反応しそそり立ったのである。

 

生徒の間からも歓声が上がる

「おお!!ナイス!!!」

「Uよくやった!!」

 

そんな中、先生だけがその状況を見て

半笑いで

「U、悪いけどお前が勃つのはなんか違うねん」

 

辺り一帯の空気はまた静寂に包まれた。

 

続く

5年後17

どこまで書いたか忘れた。

記憶の中の出来事を書いてるつもりだが

これはもしかしたらフィクションですと言う時が来るかもわからない。

これを読んでる自分以外の人からはどちらかわからないだろうが、もしリアリティを感じてこのストーリーを読んでくれたなら幸いだ。

 

リアルよりリアリティというやつだ。

 

で、書くって無料で自分が思う好きなように文字列を打てば自分の気持ちに近い表現が出来るという事で改めてその書く事の重要性を自分自身の中で噛み締めてる次第である。

 

なぜ書いてるのかはわからない

 

で、前回の16から一ヵ月以上経っていてその間に当時の仲間Wに LINEをしたら、

何となくWと何かしたくなって「ラジオやろうや」と言ったら即「やりましょう」ときたので、電話ラジオとして不定期にyoutubeにアップしていく事になった。

そのyoutubeチャンネルは

https://youtube.com/channel/UCayPTsqW0omNzqRVpFDe4Yw

なので良かったら聞いてみて下さい。

第一回目は5年後1からの事を話してます。これは宣伝です。

 

電話を誰かに聞かれるのは初めての体験だ。

初めての試みはいつだって脳細胞が活性化される。

何か思う所があれば高か低かの評価と共にコメント、チャンネル登録等頂ければ幸いです。

で、それをアップしたところ、早速友人Oから連絡があり、面白かったときた。

電話内で話していた「爆弾処理班」のコントで使った"衣装"と"小道具"の件に関してはOを呼んで直接話しを聴きたいなあと思う。

羅生門みたいにある事象に対して色んな角度からの見え方、捉え方は面白いと思う。是非これは実現したい所だ。

 

という訳で本編に戻ると

上方演芸ホールのDに台本のFAXしてから音沙汰がなく、本番当日前に連絡があった。

「明日18時に来てください」とだけ

打ち合わせの時と違い素っ気なかった。

 

本番当日、ホールに入るとスタジオの一番後ろの席に案内されて台本を渡された。

その台本をペラペラめくると自分が書いたものと違った。これは誰か違う人が書いたものだろう。自分のアイデアである"ビンゴ"は載っていた。しかし構成には自分の名前は無かった。

本番が始まり、ビンゴの所を見届けて終わりを迎えた。

Dに挨拶した。

Dは「あ、ヒラ3さんすみません、ちょっと台本、違う人に頼みましたわ」

と言われ、家路に着いた。

 

落ち込んだ。

なんかとんでもないチャンスを逃した気がしたからだ。

台本の書き方なんて習ってなかったしなあ、まあ仕方ない。

後日、それを先生に報告すると

「台本書かせるとかなんやそのDは!そんなもん気にせんでええ」とか言ってくれた。

 

彼女には何となく「結構上手くいったよ」と嘘をついた。

後日、一緒にOAされた"ビンゴ"を見た。

「凄いやん」と言ってくれた。

「うん」と答えた。

 

何日か経ち

二人で電車に乗った。

俺の地元に二人で行くのだ。

特急電車に乗ってなんやかんや楽しく喋って地元駅に着く頃、

とんでもない事に気づいた。

財布が無い。

後ろポケットに入れてた財布が落とした、もしくはスラれたみたいだ。

 

5マンくらい入ってたと思う。

ばあちゃんの住んでる最寄り駅で降りてお金を借りた。

ばあちゃんに彼女を紹介した。

ばあちゃんはニコニコしながら、

「あー嫁さん連れてきたんか、じゃあちょっと見てやるよ」とか言って

占星術四柱推命みたいな本で占ってくれた。木星がどうたらとか言ってたけどあんまり覚えてない。

 

その後

 

イルカに直接触ったりショーを見たりできる島に行った。

その時は夕暮れで夕焼けがとても綺麗だった。

イルカかが夕焼けをジャンプするように映ってる。

それを二人でみた。

何となく、幸せだなあと感じた。

 

続く

 

明らかに知ってる人を「知りません」と言った事がある

小学生の頃、英会話塾に通っていた。

その塾は教室というよりは民家の一室(6畳くらい)にあって

そこに自分は毎週二回(一日二時間くらい)通っていたのだ。

そこでは英名のニックネームで呼ばれるというシステムがあり、

初めての授業時

女性の先生は名前が書かれた英単語カードみたいなのをペラペラめくって見せてきていきなり

「どれにする?」

と聞いてきた、え!?

"名前"をどれにする?と初めて聞かれてビックリしてしまった。

先生は続けて

「私の"おすすめ"はジョンかな、いやマイケルも捨て難いかな」

と饒舌に言っていた。

先生が自ら発案して考えたシステムだから興奮してるように思えた。

鼻息が荒い。

 

名前のオススメ!?

 

不思議に思った。なぜなら自分の名前を今まで決めた事がない。

外国人の名前のオススメも聞いた事もない。

先生は楽しそうでニヤニヤしていた。

英単語カードを改めて自分でめくってみると

他にもトムとかジョージとか外国人ぽい名前がいっぱいあった。

その中で自分はとりあえず適当に「ウィル」というのを選んだ。多分それは

先生のシステムに染まりたくないという反抗心からだろう。ジョンとマイケル以外ならどれでも良かった。

 

will

 

とにかく自分は「ウィル」になったのだ。

 

「ウィルね、今日からあなたはウィルよ」

 

自分で決めたのにも関わらず「え!?マジ?」みたいな表情をしてしまった。

 

その教室には一緒に学ぶ歳上の女の子が居た。先輩だ。

彼女の名前はゼニファーかゾフィーみたいな名前だったと思う。

ゼニファーは得意げに英語で話しかけてきた。

「ナイストゥミートゥユーウィル」

 

ゼニファーとは2年くらい一緒に学んでは居たけれど、ほとんど話さないまま

塾をやめた。

英会話もその時は少しは出来たのに今では全然出来ない。

 

それから5年くらい経って、

高校生になった。

 

駅で電車を待ってるとどこかで見た女の子が居た。

ゼニファーだ。

ゼニファーがこっちを見ている。

 

瞬間、なぜかやばいと思ってしまった。

 

ゼニファーがこっちに来て話しかけてきた。

「ウィル?」

 

久しぶりに呼ばれた自分のもう一つの名前に

俺は何か凄く恥ずかしくなって

 

めちゃくちゃキョドリながら

「違います。知りません」と言った。

 

彼女は「いや、ウィルやん!」と食い下がってきた。

 

逃げるように電車に飛び乗った。

「ソーリーゼニファー、またいつか話そう。今は無理やねん」

そんな事を思いながら電話の窓からゼニファーの顔を見ていた。

 

今思えば「ようゼニファー元気かい?」

くらい言えば良かったなあと、

そんな昔の事をなぜか思い出した。

弄り(いじり)はパワーバランスが肝

弄りについて書こうか。

まず俺的弄りの定義を決めようかな。

 

「弄りというのは"信頼関係を築けている"他者の言葉に対して揚げ足を取ったり何らかの"落ち度"に対してツッコミをし、その場に居る人に笑いを提供する、そして"その場のパワーバランスを心地よい状態に維持する"」

 こういうような"商業な意味合い"が凄い濃い気がする。

プロの芸人がやる、プロの技術だ。

 

で、そういうTVやラジオを見た世間の人達は真似をしていく。

表面的にだ。

表面的な弄りは世の中に散乱している。

その辺のおじさんやおばさん、ギャルやキッズまでもが弄りというものやっている、そしてそれを弄りだと思い込んでるような気がする。

例えば信頼関係をあまり築けていない人をめちゃくちゃ弄ってその人が怒ったら

「ちょっと弄っただけや〜ん」

 

というのはめちゃくちゃあるシチュエーションなんだろうなとは思う。それでトラブルになって揉めて喧嘩になって疎遠になっていく。

これが世に蔓延う無数の人離れの原因になってる気がする。

 

めちゃくちゃリスキーだ。

なぜ、人々はそのリスキーなコミュニケーションを選ぶのだろうか?

 

手っ取り早く優越感を得たいというのはあると思う。

何か人より上に立ちたい、マウントだ。

動物的本能。

 

ただ技術的に言うと俺はどうしてもまだ「それではまだ半分やな」と思ってしまう。

"半分"だけやとそれは"イジメ"やわ。

 

相手を下げる、差を付ける。そして自分が上に上がった気になって優越感を得る。

 

大抵、ほぼ99.5%がここで止まってしまっているのだ。

 

松本人志なんかの一流芸人を見ると何人か居る芸人を弄って下げまくったりして

"こいつ下げまくったから、少し上に上げよう、じゃあさっき弄ったあいつも少し上げておこう、ちょっと上げ過ぎたな下に下げよう"とかを意識しながら

最後には自分を一番下げてる事でパワーバランスを取ってる事に気付くと思う。

 

ここで、弄りの起承転結が完成する。

 

これぞプロの芸なのよ

 

 

世間一般のコミュニケーションで弄りは多用されるがそれはめちゃくちゃリスキーな行為だよとはもう一回言っておこう。

 

信頼関係というクッションをまず下に敷き、その楽しい空間をまず作り出した上でようやくピラミッドの頂上にある弄りという面白いフェーズに移行出来る。

 

そういった事を意識して生きていけたら

なあと思う。

 

 

 

大喜利という趣味は会話が苦手になる

大喜利は楽しい。

それは俺も知っている。

ただ、日常生活において「会話がおかしくなる」

という職業病ならぬ趣味病というのがある事を知ってるだろうか?

これは大喜利の構造を理解すればすんなり納得できると思う。

 

「"お題"があってそれに対してじっくり考え"答える"」

 

この構造は絶対に「対応型」にならざるを得ない。受け身だ。いや、自分が意識して変えない限り対応型受け身になっていく。

俺の意見とか感想ではない。

1+1は2みたいな話だ。

絶対にそうなる。

しかも大喜利をやればやるほど対応型受け身会話になっていく、怖くないかい?

 

会話ってのは骨髄を言うと

 

「リズム」

 

内容よりも"ノリ"とか"テンポ"が重要視される場面が多いのだ。

俺は大喜利の人に会ったり大喜利の人同士が会ったりする所を今まで何度となく見てきた。

これは衝撃的な事実だが

 

大喜利の人と話すと

 

 

 

 

ワンテンポ遅い

 

 

 

じっくり考えるがゆえ世間一般と"ズレてる"

 

 

 

そして、対応型のあまり

 

 

自ら口火を切ったり出来ないししない、

 

 

お題というの名の相手側のアクションを待つようになる。

謎の睨み合いが始まるのだ。

 

他の趣味の人では起こり得ない事が大喜利という趣味を選んだばっかりに起こっている。

 

だから、それに気づいた人達はいつしか大喜利を離れ、世に出ていった。

漫画を描いたり、小説を書いたり、芸能人になったり、有名人になったりだ。

 

大喜利の良さはそういった"外"に出た時に最大限発揮されるような気がする。

発想力だったり洞察力を経済活動、日常生活に活かせてる。

 

ツッコミの達人になった芸人も居る。

 

ツッコミはかっこいい。人を弄って、自分はかっこいいままで居られる。

たけし松本の対談本"コマネチ"によると昔のコンビの

ボケ:ツッコミのギャラ比率は6:4だったらしい。

ええかっこしてる奴はギャラが低いと昔の人は納得したんだよな。

今の時代、みんながみんな

"ツッコミ"に回りたがる気がしてならない。

残念。

多種多様性を重んじる時代はツッコミは無くなると予言しておこうか。

これについては「ツッコミが無くなる世界」というタイトルで別に書きたい。

 

ただ、それらの流れを知ってか知らずか自ら「お題」になるような人間も知っている。

俺はそういう人間を尊敬してる。

メモすべきは良い事

昨日は何があったかなと思い出してみる。

APEXというゲームを「ツレの家」という先日出来たばかりのyoutube配信でクソガキ共と一緒にやった。

チャンネルを変えて配信したのに、前のチャンネルから知ってる奴らが来てくれた。

教えてないのに。

「どこで見つけたんや」

 

俺は配信以外のゲームの誘いやアドバイスとかのメールは嬉しいけどどうしたら良いのかわからずまごまごしてしまう。

 

そして時間が経ち、結果放置だ。

 

それでも来る奴らが居る。

「ヒラ3さん6200ダメ出したぜ〜」とかいう自慢メールを今日は画像証拠付きで貰った。

俺は2500ダメしか出した事がない。

こいつはさぞかし嬉しかったんだろうな

しかし残念だったな、実は俺の方が嬉しいんだぞ

APEXをプレイしてると勝手にロビーに参加してる奴も居る。

嬉しいけど基本思いっきり追い出す。

これは俺なりの礼儀だ。

気まぐれで一緒にやったりもする事もあるけど

 

あるクソガキに「ヒラ3さんは子供心がわかってるね」と言われた事がある

 

わかるに決まってるだろ

俺は子供時代を経験してるし、なにより今でもクソガキの気持ちで居るんだよ

というかカッコよく言うと"大人とか子供とか男とか女とか"はあまり意識しないようにしてる

同じ"人"として話してるつもりだ

お前らとゲームする時はいつも昔の事を思い出して、一緒にボンバーマン大会やったりいただきストリートを深夜までリアルなツレの家でやってた時の事を思い出している。

 

人は嫌な事だけを記憶してしまうとよく聞く

それは危険な事を意識して二度と繰り返さない為らしい。

例えばやかん触ったら熱い!嫌だ!みたいな感じだ。

脳が嫌な事を自動的に記憶するならそれは仕方ない、諦めようじゃないか。

 

反対に良い事はほとんど覚えていない事に気づく。

じゃあ良い事は自分の脳以外に記憶しておこうではないか。

そしていつかこんな事もあったなあと思い出せたら幸いだ。

 

ツレの家は良い事だけを記憶していくチャンネルに出来たら良いと思う

 

 

俺はコミュニケーションの仕方を知らない

一年生になったら〜一年生になったら〜友達100人できるかな

という歌がある。

自分たちの世代はその歌を聞かされた。

 

友達できるかな、

 

願望だ。

 

ちょっと待てや!!!

友達の作り方わい!ふざけんなよ!

具体的なやり方教えてくれや!

 

学校に通い出すと何となく誰かが近くに居たりこちらから近寄ったりしていつの間にか休憩時間とか、放課後によく喋る奴らができた。

何を喋ったかは覚えてない。

多分「消しゴム貸して」とか「給食美味かったなあ」とかだろう。後は"ボディラングエジ"的な小競り合いだ、くすぐったり肩パンしたりとかだ。あれもコミュニケーションなのかな、猿だな…

けど一緒に居て居心地は悪くない。むしろ楽しい。

 

高学年になると女子に目がいくようになる。

胸の膨らみが目につく。何やろ

ムズムズして悶々とするなあ…

 

そこに目掛けてタックルしてえ!

 

ゴリラだ。そういった事を押し殺していつもの奴らにそれを悟られないように普段通りの日常を送っていく。

しかし誰かがその内言い出す。

 

「あいつの胸デカいよなあ」

 

やられた!と思った。俺がそれを言いたかった。自分の気持ちに正直になりたくて、でも言い出せなくて悶々とした日々を送っていたからだ。

しかし、こいつは言った。正直に、誰よりも早く口火を切った。

 

なぜだか悔しい!悔しいから自分の心を押し殺して嘘をついてこいつを攻撃した。

「お前さ〜すけべやなぁ」

しかり周りに居た"敗北者達"は勝者に追随する。

「わかるわ〜たまらんよなあ」

一人になった。

 

カイジのナレーションがここで入るとしたら「悔しい、悔しいから嘘をつく。だがそれが人間だ」みたいな台詞だろう。

 

月日はどんどん経ち、中学、高校と上がっていく内に賢ぶるようになってしまった。頭で考えて、本能的なエロい奴を見下すようになった。

エロがなんぼのもんじゃい!

こっちには理性がある。本能より理性だろ。それが人間的なんだ。

猿と俺は違う。

そして、俺は本能的な直感を無視してクラスで評価される所の

「賢い人」「面白い人」「人気者」とかと友達になりたいと考える。

そういう人達と仲良くなってこそ、

自分の株が上がるし、自分の価値も上がる。本気でそう考えていた。計算だ。

 

実際そういう人達に媚びへつらい、仲良くなったところで、

居心地は良くないし、楽しくなかった。

 

なので自分は直感を信じる。

俺は俺の直感だけを信じて

自分に取って合う人合わない人を見極めていく。

ちなみにメンタリストDAIGOが言うには100時間話すと合うか合わないかがわかるらしい。

この言葉を信じるなら

100時間話していない人はまだわからない。

100時間話して合う人は合うし合わない人は合わないんだろう。

 

「一年生になったら」という歌が"やり方"を教えてくれなかったのは

そこに気づかせる為だと今は思う。

 

自分に取って合わない人と人生を歩んでいく事は楽しくない。

この世の時間が無限にあるなら「合わない」人とでもなんとか仲良くなろうとしただろう。

 

しかし、この世の時間は有限だ。

合う人と楽しくやる時間しか残されていない。

俺はそう思う。

 

俺はコミュニケーションの仕方を少し知っている「直感」だ。